第21話
青い目の人形
序 章
平和の尊さ伝える
10体 県内に
1920年代、米国での移民排斥運動をきっかけに、日本と米国は国民を巻き込む対立が生じていた。親日家の米国人が状況を憂い、人形を活用した子どもたちの交流を思いついた。民間組織を立ち上げ、27年、約1万2千体の青い目の人形を日本に贈った。日本では、歓迎会も行われ、子どもたちにもかわいがられた。しかし、41年、太平洋戦争に突入。多くは焼かれたり、壊されたりした。一部はひそかに保管された。県内では現在10体が確認されており、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える役割を担う。くしくも現在、世界では戦闘が絶えず、国際情勢が混迷している。来年は人形が贈られてから100年。今年1~4月、元県史編さん調査研究員の小泉敦さん(66)=五戸町=と共に、県内の人形についてまとめた帝京大学教育学部の生島美和准教授(当時は弘前学院大学文学部准教授)の報告書を基に、人形を訪ねた。
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■青い目の人形■ 悪化した日米関係の改善のため、日本で25年間生活した経験を持つ親日家で、米国の宣教師、教育者だったシドニー・ギューリック(1860~1945年)が日本のひな祭りに着目。民間組織「世界児童親善会」を立ち上げ、実業家の渋沢栄一(1840~1931年)に協力を求め、1927年のひな祭りに合わせて友情人形として約1万2千体を日本に贈った。 |
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弘前・養生幼稚園「メリー」
ひな祭り 園児とお祝い

3月3日、弘前市の養生幼稚園を訪ねた。通常は米国の3社が製作した友情人形が日本に送られたが、同幼稚園の「メリー」はドイツ製。木箱と当時からのものとみられる洋服が残っており、「昭和2年」と書かれている。資料は残っていないという。毎年、ひな祭りに合わせ、メリーをひな人形と一緒に飾っている。
園長の齊藤弘子さん(67)は「私が入った年に辞めた藤田みつ先生が当時の先生と一緒に『敵国から贈られたものであっても、お人形さんに罪はない』と箱にしまって、園庭に穴を掘って隠していたと聞いている」と話す。
全園児約60人が参加した「桃の節句集会」では、教頭の木村協子(やすこ)さん(42)が人形のこれまでの歩みを話し、園児らが「楽しいひな祭り」などを歌った。竹谷公佑(こうすけ)ちゃん(6)は「土に埋められていたのはかわいそうだったけど、また会えたのはうれしい。戦争がなくなればいいな」、永澤優(ゆう)ちゃん(6)は「服と帽子がかわいかった」と笑顔を見せた。
齊藤さんは「みんなに強く元気に、優しく育ってほしいという願いを込め、毎年人形の話をしている。幼稚園で守られてきたものを私たちも伝える使命がある」と語った。
養生幼稚園でひな祭りに合わせて飾られる「メリー」=養生幼稚園
養生幼稚園でひな祭りに合わせて飾られる「メリー」=養生幼稚園
弘前・致遠小「シドニー・エル・グリック」
贈られた当時の箱も
校長室の入り口に置かれている「シドニー・エル・グリック」=致遠小
校長室の入り口に置かれている「シドニー・エル・グリック」=致遠小
3月、弘前市の致遠小学校を訪ねた。友情人形「シドニー・エル・グリック」は校長室の入り口の棚に子どもたちに見えるように展示している。横になると目を閉じる。贈られてきた当時、人形が入っていたとみられる「中郡 致遠 アメリカ人形 174」と書かれた箱も残る。
「致遠百年史」には贈られた当時、学校で披露式も行われ、校長が日米親善の意義を説いたことが記されている。戦後、米軍の進駐がうわさされ、戦時下の教科書、図書、書類などは焼却したが、人形は難を逃れた。
現在は行事や授業で扱われることはないが、校長の工藤隆幸さん(59)は「戦時中を乗り越えた友好の証。毎日、貴重な人形を目にしているのだと感じる。(今も)戦争が起きている中で、アメリカとは友好関係を築いているが、平和への思いをあらためて実感する。残してくれた致遠小学校の大先輩がいたことが誇らしい」と語った。
贈られた当時に友情人形が入れられていた箱=致遠小
贈られた当時に友情人形が入れられていた箱=致遠小
つがる・森田小「メリー」
「転校」後も学習に活用
春の装いをして椅子に座る「メリー」=森田小
春の装いをして椅子に座る「メリー」=森田小
4月上旬、つがる市の森田小学校を訪ねると、玄関に春の装いの友情人形「メリー」が椅子に座って飾られていた。
メリーは元々、5キロほど離れた育成小にあったが、2021年、閉校に伴い、森田小に移された。残されたいきさつは不明だが、発見時に関しては二つの話が伝えられている。
ともに1970年代前半、女性の先生が自ら校具室で見つけたという話と、女児2人が物置部屋で見つけてこの女性の先生に伝えたという話だ。
メリーには多くの衣装があり、現在は、子どもたちや職員が衣替えをしているという。教頭の佐藤昌輝さん(49)によると、メリーに関する育成小時代からの資料も多くあり、4年生が総合的な学習で、メリーについて数時間かけて、これまでの経緯や歴史を調べて発表している。
佐藤さんは「子どもたちは総合的な学習を通じ、価値のある人形だと分かっている。地域の宝として後世まで大事にしていきたい」と力を込めた。
弘前・青柳小「メリーアン」
優しい気持ち受け継ぐ
エイミー㊨と並んで来客を迎える「メリーアン」=青柳小
エイミー㊨と並んで来客を迎える「メリーアン」=青柳小
3月、弘前市の青柳小学校を訪ねた。学校の資料によると、1927年、当時の校長が清水村役場で友情人形「メリーアン」を受け取り、全校児童に紹介。5、6年生の女児が歓迎会を開いてひな人形と共に陳列されたという。戦時中は歴代教職員が音楽室の戸棚の上に人形の入った箱を裏返しにして保管していた。
メリーアンは現在、同校の来客用玄関に、シドニー・ギューリックの子孫によって送られた人形「エイミー」と共に飾られている。同校には、87年に再発行したパスポートも残る。市内の人が作ってくれた洋服があり、季節ごとに衣替え。その際には、児童が着せ替えている。全校朝会などで校長がこれまでの経緯を話すこともあるという。
教頭の藤田彰子さん(57)は「守衛室に隠していたという話を地域の人から聞いた。地域の人たちが守ってきた優しい気持ちを本校の子どもが受け継いでいるのではと思う。地域の人たちも存在を知っていて、メリーアンもエイミーも本校の宝」と語った。
弘前学院外人宣教師館「エリザベス・ハットン」
愛光幼稚園がこっそり疎開
愛光幼稚園に贈られた「エリザベス・ハットン」=弘前学院外人宣教師館
愛光幼稚園に贈られた「エリザベス・ハットン」=弘前学院外人宣教師館
1月下旬、弘前市の弘前学院外人宣教師館(弘前学院資料館)を訪ねると、真っ赤なドレスを着た「エリザベス・ハットン」が展示されていた。2階には青森睦子の81センチの等身大パネルも飾っている。
聖愛幼稚園(1958年発足、96年に廃園)の前身である若葉、愛光両幼稚園にも各1体が贈られ、園児らの歓迎を受けた。毎年、ひな祭りには一緒にひな段に飾られたという。戦時中も当時の教諭が「こっそり人形を疎開させた」との証言が残っている。
戦後、幼稚園は数回移転し、教職員も入れ変わった。86年、「弘前学院百年史」編さんの際、人形の所在を確認。後日、聖愛幼稚園2階の物置を整理していた際にダンボールの中から人形が見つかった。
薄汚れた風呂敷包みの中にあった人形はひどく汚れて左手親指は欠けてなくなり、髪の毛は薄くなっていた。眼はまばたきをし、腹部には「ママー」と泣く泣き笛があり、愛光幼稚園にあったエリザベス・ハットンだと確認された。
弘前学院総務課の担当職員は「人形目当ての来館者はそんなにいない。来館して、人形があったんだと見ていく」と語った。
弘前学院外人宣教師館にある青森睦子の等身大パネル
弘前学院外人宣教師館にある青森睦子の等身大パネル
愛光幼稚園で行われた「エリザベス・ハットン」の歓迎会(弘前学院提供)
愛光幼稚園で行われた「エリザベス・ハットン」の歓迎会(弘前学院提供)
弘前・千年小「メリー」
4年生が由来を取材
千年小の宝物となっている「メリー」=千年小
千年小の宝物となっている「メリー」=千年小
3月、弘前市の千年小学校では、同月時点で校長だった(4月から弘前東小校長)安田奈津子さん(57)が詳細を教えてくれた。友情人形「メリー」はシドニー・ギューリックの子孫が2020年に贈ってきた「チェルシー」と共に、来訪者の玄関付近に飾られている。メリーは創立140周年を機にショーケースに入れられたという。メリーが贈られた当時を知ることができる資料は残っていないという。
今年150周年を迎える同校で、2体とも「学校の宝物」の位置付け。安田さんによると、歴代の校長が周年行事や校長講話など、節目節目でメリーやチェルシーに触れている。また、4年生が学習で千年小について調べている際、2体の由来について取材し、まとめて紹介している。
安田さんは「米国の子どもとの友好や、戦争を乗り越えて残っていることを子どもたちに伝えていかなければならないし、伝える価値は十分ある。平和であることの大切さ、人種を越えて仲良くすることの大切さを身近な学校の宝物から感じることはとても大切」と強調する。
平川・竹館小「ドロシー・ベル・アルバニー」
パスポートも残り、文化財に
平川市文化財にも指定されている「ドロシー・ベル・アルバニー」=竹館小
平川市文化財にも指定されている「ドロシー・ベル・アルバニー」=竹館小
平川市の竹館小学校では、廊下のショーケースに友情人形「ドロシー・ベル・アルバニー」のコーナーが設けられ、当時の切符やパスポート、送り主の手紙、洋服なども残っている。一式は市文化財に指定されている。
戦時中、焼かれそうになったところを年配の女性教諭が「人形に罪はない」と諭し、焼かれずに済んだという。1977年、テレビ番組で青い目の人形の存在を知った当時の校長が「本校にもあるのでは」と話題にしたところ、教師や用務員の証言で発見。その後、校舎の一部を焼いた84年の火災からも難を逃れた。
戦時中の様子を知る住民の証言では、ドロシーは寝かせると、「ママー」と声を出していたが、この住民は飯(ママ)と解釈し、空腹で泣いていると思っていたという逸話もある。78年には手紙の送り主と連絡がとれ、竹館尋常小の児童から街の様子を描いた絵が送られていたと分かった。
現在は6年生の社会の授業で、太平洋戦争について学ぶ際にドロシーの話に触れるという。今年創立150周年を迎える竹館小は2028年に平賀東小と統合する。教頭の三上孝志さん(50)は「住民はドロシーに親しみを持っていて地域の宝物。戦時中も捨てないで保管していたのはすごい。素朴で素直な地域性もあると思う」と語った。
ドロシーが米国から持参してきた切符とパスポート
ドロシーが米国から持参してきた切符とパスポート
野辺地小「レイワ」
学校の「マスコットキャラ」
入学を祝い、ランドセルを背負った「レイワ」=野辺地小
入学を祝い、ランドセルを背負った「レイワ」=野辺地小
4月上旬、野辺地町の野辺地小学校を訪れると、玄関に「ご入学おめでとうございます」と書かれたプレートを付け、ランドセルを背負い、はかま姿の友情人形「レイワ」がいた。
レイワは前身の城内尋常高等小学校に贈られた人形で、戦時中、野辺地国民学校で助教をしていた渕沢芳郎氏(故人)が燃やされそうになったところを炎の中から救い出した。
人形はその後、渕沢氏と、同校でも勤務経験のある妻和子さん(故人)に洋服を作ってもらったり、ネックレスをかけてもらったりして大切にされていた。令和となった2019年、和子さんが町に寄贈し、レイワと名付けた。
友情人形や戦争の歴史にも興味を持ってもらえるよう、レイワに関する新聞記事や説明文を飾っている。衣装は学区内の人がボランティアで作り、職員が月ごとにサンタクロースやハロウィーン、卒業式のはかまなどの衣装に変えている。
校長の坂本和康さん(58)は「レイワちゃんは学校のマスコットキャラクター的な存在で、写真を毎月の学校便りに載せている。子どもたちは毎月、衣装が変わるのを楽しみにしている」と話す。
南部小「アイナ」
近年に児童が命名
2019年に児童に名付けられた「アイナ」=南部小
2019年に児童に名付けられた「アイナ」=南部小
4月上旬、南部小学校を訪ねると、職員・来賓玄関で、友情人情「アイナ」とシドニー・ギューリックの孫が贈った新しい人形「ナンシー」が並んで座っていた。
アイナは統合前の平良崎小学校の前身・下郷尋常高等小学校に贈られた人形。2009年に技能主事の女性が家庭科準備室で見つけたという。小泉敦さんは下郷尋常高等小での歓迎会の写真を持っていて、熱烈な歓迎ぶりがうかがえる。
アイナは19年、南部小の児童らが話し合い、「愛」と南部小の頭文字「ナ」から名付けた。ナンシーは翌20年に贈られた。アイナには、「昭和2年4月16日」と贈られた日が書かれた紙もあった。贈られた当時のものとみられる服も残っている。
同校に赴任したばかりの校長の鎌田一寿さん(56)は「友好の証としてもらった貴重な人形。戦時中でも人形に怒り、憎しみをぶつけなかった。今後も大切に守っていきたいし、今ある意義を子どもたちに知ってほしい」と語った。
1927年に下郷尋常高等小で行われた友情人形の歓迎会(小泉敦さん提供)
1927年に下郷尋常高等小で行われた友情人形の歓迎会(小泉敦さん提供)
八戸市南郷歴史民俗資料館「メリー」
島守小が隔年で「招待」
大切に保管・展示されている「メリー」=八戸市南郷歴史民俗資料館
大切に保管・展示されている「メリー」=八戸市南郷歴史民俗資料館
4月上旬、八戸市南郷の島守小学校を訪ねた。友情人形の「メリー」は八戸市南郷の島守尋常高等小学校に贈られ、戦後の1958年に当時のPTA会長と教頭が裁縫室の天井裏から見つけたという。67年に校舎が火事に遭った際にも救い出された。現在は八戸市南郷歴史民俗資料館が保管、展示している。
島守小では、隔年で3月3日に人形を招き、同資料館の関係者に経緯について話してもらっている。学校便りで紹介したこともあるという。
校長の工藤健夫さん(54)は「人形は戦争時に壊されたり、焼かれたりした中で、島守では守ってきた。守ってきた人たちの心を、島守の歴史として、子どもたちに知ってほしい」と話す。
戦時中、島守国民学校に在籍していた近くに住む太田トモさん(88)は「メリーちゃんという青い目の人形がいた。1階の中央廊下の戸棚のガラスに入っていて、毎日見ていた記憶がある」と話した。
第2章
残存しない意味考えて
帝京大学・生島美和准教授
弘前学院大学勤務時代、本県に残る青い目の人形(友情人形)について研究し、展示や報告書の作成を行った帝京大学の生島(おじま)美和准教授=東京都在住=に本県の友情人形の事情、裏話などについて尋ねた。
─県内に残る人形の特徴は。
「友情人形は主に米国内の3社で製作された。ただ、3社以外でも、自分たちの手元にある人形を贈ってもいいことにしており、養生幼稚園のものは、それに当たる。他の人形よりも少し小ぶりだ」
─人形が贈られてきた際、どのように歓迎されたか。
「今で言うならば、(米大リーグの)大谷翔平のグローブが小学校に贈られたような雰囲気だったのでは。届いた時には全国、県、地域でそれぞれ式典が行われた」
─県内に残っている人形は津軽地方に多い。
「理由は分からない。ただ、弘前には東奥義塾、弘前女学校があったことで、宣教師が多く滞在し、キリスト教を通じた地域での教育や社会改良を行う活動の拠点だった。市民との親交も深く、市民側も親和的で大きく影響を受けていた。弘前は軍都という側面もあるが、市民は太平洋戦争前までインターナショナルな感覚も持っていた。そう考えると、もっと人形が残っていてもよかったのでは」
─友情人形はなぜ廃棄されなければならなかったのか。
「戦時中、人形廃棄の動きが全国どこから出てもおかしくない中ではあったが、端緒になった発言が実は本県の鯵ケ沢から出た。(西地方事務所長が視察の際に人形が目につき、踏みつぶしてやりたかったと西郡教育会長に述べたため、西郡教育会が各校から1カ所に集め、処分することになった、と)東奥日報が報じ、その後、全国紙である毎日新聞がこの動きを取り上げた。文部省の総務課長が速やかな措置をすべきだということを言って、これが全国的な人形廃棄を促すことになった」
「もしかしたら、戦後でも人形はもっと残っていたのかもしれないが、学校は木造校舎で結構火事も多かったため、校舎と共に燃えたり、いわれが伝えられないまま廃棄されたりしたケースもあるかもしれない」
─実際に青い目の人形を訪ねて、感じたことは。
「それぞれの人形が、たどり着いた学校で見てきた景色をいかにくみ取ることができるかという視点が大事。人形はその学校や地域で100年も過ごしてきた『一員』、ぜひさまざまな場面で人形を活用してほしい。世界情勢が不安定な中で自分たちが生きること、戦争と平和について、この人形から学ぶことが、今後どう世界をつくっていくかを考えることにつながる。その意味では、残された人形だけでなく、なぜ残っていない人形が多いのかを考えることも大事」
─まだ県内に現存する可能性は。
「あるかもしれないけど、もう厳しいと思う。学校も相当、改築、新築されている。野辺地小の人形が個人宅から見つかったのは奇跡的。特別な思いで保管されていた」
─日米の人形への見方の違いは。
「米国では、大量生産のおもちゃ。日本では子どもの発達、健やかな成長などの思いを託す。人形に魂を宿らせるのが日本人の感覚であることをシドニー・ギューリックは京都で学んで米国に帰った。よく人形に目を付けたと思う。お返しとして日本から米国に送られた市松人形は国の威信を懸けた工芸品。米国では本土各地を回るが、1930年代には博物館など公共機関で保存された」
最終章
戦争が人の心も破壊
取材同行 小泉敦さん
友情人形「青い目の人形」は狭義の戦争遺構ではないのかもしれないが、敵のスパイとして扱われ、焼かれたり、壊されたりした歴史を持つ点で、戦争の影響を受けた遺産と位置付けられる。
人形は「消された歴史」として、戦争の悲惨さや愚かさ、そして、戦争が人の心をも破壊することを静かに語りかける。
一方、今日まで残っている人形は、処分されるのをふびんに思い、学校の屋根裏や物置に隠して守った人々がいたことを示す貴重な「生き証人」だ。
青い目の人形は日米友好の象徴としてのみならず、国際理解と世界平和を体現する遺産として、新たな使命を帯びつつある。
2027年は日米親善交流からちょうど100年に当たる節目。青い目の人形を再認識し、背後にある歴史を掘り起こす契機となるはずだ。
県内でも、本県からアメリカに渡った答礼人形「青森睦子」の里帰りを実現し、県内に現存する10体の「青い目の人形」と共に展示する機会をつくりたい。地域に刻まれた記憶を再生し、戦争と平和を巡る歴史意識を問い直す意味で、歴史的にも文化的にも大きな意義があるものと考える。
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